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  • 執筆者の写真大場敬子

知らない街 知らない海 どこか遠くへ行きたい 旅

更新日:3月11日

昔々、大昔から、この大地が、どこまで続いているのだろうか、という探検心、冒険心が育つままに行動してきた人々が存在したおかげで、大地は陸続き、海続き、そして地球は丸いということがわかりました。

地図ができ、今日に至ってはGPS機能などで、瞬時に自分の居場所さえもわかり、迷うことなく世界中のどこへでもが楽しめています。


旅行が大好きで、旅行を趣味とし、旅行を楽しむために働いている! そんな方がいらっしゃるでしょうか。


通信網として陸海空のみならず、電波においては宇宙規模でその技術が進歩しています。それは神の技ともいえる極みまで、一つになりつつあります。しかし、世界の人々の心は一つにはなかなかならず、宗教、国家闘争など戦争がまだ続いており、日本の歴史の、「じゃんぎり頭をたたいてみれば文明開化の音がする」とはなかなかいかない発展途上国があるのも事実。そして、そのような国に旅行に行ってみたいなどと思い立ち、命と引き換えでも構わないと旅立ったりもする人がいることも現状のようです。


いつの時代も生活をしていくことに不安は付きまといますが、心の滋養に、心のリフレッシュに、どこか遠くへ旅行に行きたいと思い立ち、どこへ行こうか、などと、費用とも相談しながら楽しみに情報集めをしたりします。


気持ち」は旅行することに焦点が合わされていて、松尾芭蕉と同じ「旅に出たいという、かきたてる狂おしい心境となり、いてもたってもいられなくなって、家を人に譲って、旅立つまでは弟子の家で暮らし、出発のその日まで落ち着かぬ毎日を過ごす。」

芭蕉と違うところといえば、現代人のその旅は短いということ。一泊2日の旅行、それでも十分満足!


関東、関西に住む人なら、戦後、経済成長の時代、心の赴くまま、ゆくあてもなく汽車に飛び乗り、なんて、フォークソングや演歌にあるような歌詞の、自由気ままな旅もできた時代。

列車の発車時刻など気にもせず、乗れる列車に乗ろうとまず駅に向かい、特急列車や夜行列車に乗り込み、乗り継ぎも考えず、行き当たりばったりで決めて、それでも楽しい思い出の旅行が楽しめた時代。

泊まる宿は、駅の案内所だったり、広告看板だったり。簡単に宿が決められた時代。


到着した宿の古風なたたずまいに心が弾んで、驚きと新鮮さでいっぱい。

赤いじゅうたんが廊下に敷いてあると、まるで国会議員にでもなったような、偉くなったような、そんな緊張感があって、嬉しく


廊下の先、矢印の方向にある露天風呂を楽しみに行くのだけれど、裸で入ることに妙に神経質になって、誰かに見られてはいないかなどと気になり。

それでも、天然温泉のその雰囲気を楽しみ、日本人に生まれてよかったなぁなどと、体がピンク色に染まる頃には充実した歓びに満ちている自分がいて「旅行に出てきてよかった!」と「明日からまた頑張ろう」と鋭気をいただく。


今の時代、テレビや雑誌、ネットなどをみて、ここがいい、ここに決めようと旅行計画たるものを緻密に立てて、いざ出発! あらかじめ、お部屋も食事もチェック! そして、「期待と思っている以上の楽しみが必ずある!」と信じ旅行に出かける。結果は、いろいろ。

あまり情報のない時代の方が、楽しみが多かったように思うのは私だけではないと思います、ね。


「どこか遠くへ行きたい」という歌があります。ご存知の方は多いと思います。 

♪知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい   

♪知らない海をながめてみたい どこか遠くへ行きたい     

♪遠い街 遠い海 夢はるか一人旅        


ブログを読んでくださっている皆さん!

わかりますか?!

どうして、「知らない街を歩いてみたいのか。」「知らない海をながめてみたいのか。」「どこか遠くへ行きたいのか。」


続く歌詞は、

♪愛する人とめぐり逢いたい どこか遠くへ行きたい♪

♪愛し合い 信じ合い いつの日か幸せを♪

♪愛する人とめぐり逢いたい どこか遠くへ行きたい♪  


YouTube ♪ママの大好きな倍賞千恵子 遠くへ行きたい https://www.youtube.com/watch?v=oWMuyffXSQU


安比高原ペンションサンテミリオンママでした 大場敬子


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