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  • 執筆者の写真大場敬子

門恋戸コラム 赤い糸の本数?縦の糸と横の糸?



思春期の初々しいころ、男の子も女の子も、恥ずかしさで胸がいっぱいで。好きな子を目の前にすると、緊張のあまり、もじもじしてしまって、顔が真っ赤になって、気持ちとは裏腹に嫌いなそぶりをしてみたり。


今も昔も、その人それぞれの、恋の始まり、恋の予感。恋する気持ち、そのお相手が気になって気になってどうしようもなくて、好きな気持ちが高まっていく。無条件に大好きな気持ちが育ってしまう。 


赤い糸で結ばれているんだ、と、tiny heart。若い小さな愛は、相思相愛になっても、いろいろな問題が生じるとけんか別れで、さようなら。仲が良かったのに、他に好きな人ができてしまう。


赤い糸で結ばれているんだ、と、ラブラブな新婚生活、そのうち、子どもができて、仕事と子育てで、あまりの忙しさと疲れで、夫婦お互いの労り合う心がどこかへと、子どもは母親が引き取る。


赤い糸で結ばれているんだ、と、ずっと一緒に寄り添った夫婦が、年老いて死の床に着いたとき、他の人と結婚すればよかったと思っていたならどうでしょう。幸せではなかったのね、としか言いようがありませんけれど、確かに、赤い糸で結ばれていたのだと思います。なぜなら、どのご夫婦も、最後のお別れの時の、言葉にならない、息を引き取る時の、その時に、人生を共にした伴侶に『ありがとう。』


ご結婚し、夫婦となり、添い遂げました時に、赤い糸だったのか、そうではなかったのか、幸せだったのか、そうではなかったのか。

糸の色は赤で、糸の本数は一本なのか。そして、その一本の糸で結ばれてていた二人だったのか。


結婚式での定番となっております、中島みゆき作詞・作曲「糸」を知るまでは、巷での、二人の結ばれている「赤い糸」が、縦の糸と横の糸とで表現されています。


縦の糸と横の糸が作り出す、共同作業による織りなす布が暖めるし、傷をかばうものとして表現されていて、逢うべき糸に出逢えることを「仕合わせ」と表現しています。


つまり、逢うべき糸(赤い糸とされていた表現)は、織りなすことによってという、「目には見えない愛の形あるもの」として夫婦の中に存在する。

含蓄のある歌詞に脱帽ですね。


♪♪

なぜ めぐり逢うのかを

私たちは なにも知らない

いつ めぐり逢うのかを

私たちは いつも知らない


どこにいたの 生きてきたの

遠い空の下 ふたつの物語


縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かを

暖めうるかもしれない


なぜ 生きてゆくのかを

迷った日の跡の ささくれ

夢追いかけ走って

ころんだ日の跡の ささくれ


こんな糸が なんになるの

心許なくて ふるえてた風の中


縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かの

傷をかばうかもしれない



縦の糸はあなた 横の糸は私

逢うべき糸に 出逢えること

人は 仕合わせと呼びます


中島みゆき 「糸」 


結婚カウンセラー 大場敬子


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